気ままに太極拳ブログ

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『苦労してない子どもっぽさの、よさ』

【日々雑感その152】
『苦労してない子どもっぽさの、よさ』

ぼくは、20代前半まで、カイロプラクティックという手技療法をお仕事にしていました。

当時は、まだ未熟で、偉い先生たちの集まりなどにおじゃますると、「この手は、苦労していない手だ!」なんていわれていました。

もちろん、勉強は自分なりにやっていたし、臨床もできる範囲でこなそうとしていましたが、ベテランの先生方に比べれば、たしかに苦労のない手。


そもそも、ぼくは、子どものころから、「苦労してきた手」になれるような、苦労をしてきませんでした。

20年以上たった今でも、ぼくの手は、きっと「苦労していない手」だと思います。

そう、苦労してきていないから。


また、ひとには、良くも悪くも「顔が若いねぇ」「顔が幼いねぇ」なんてことも言われます。

たしかに、日常で顔をしかめるようなこともなく、呑気に過ごしていますから、苦労した「大人びた顔」には、ならないのでしょうね。

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では、苦労した手や、大人びた顔が、どれほど、よいものなのか。

たしかに、苦労して、社会の荒波にもまれて過ごしてきた証として、顔や手に刻まれてきたものなら、そうした生き方をしてきた表れなのだと。

ただ、ぼくのお仕事は、そんな苦労や、社会の荒波とは、一線を画しているんじゃないかな、と。

ぼくのお仕事で、苦労をしてきたような跡があれば、それはきっと不摂生だと思うし、大人びた顔は、専門に没頭してこなかった世間慣れした現れなんじゃないかな、なんて思ったりしちゃいます。

全ての人はそうではないだろうけど、面と向かって、ぼくのことを、苦労知らずの幼い人のように言うひとには、「そうです。ぼくは、苦労もなく世間ずれすることもなく、呑気に生きてきましたから」としかいえないかも。

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先輩方には、もっと社会へ目を向けろ、なんていわれますが、世間も社会も広いです。

ひとり、占いや鍼灸の世界に、ポツンッと過ごしているだけでは、世間や社会のことを知っても、関わり合うことがない。

それよりも、自分の専門を深めて、仕事で関わり合うひとに、きちんと向き合えるだけで、いいんじゃないかと。


ときどき、自分の世間ずれした、物を知らないことに、ため息も出ますが、とにかく、接点が、ないからねぇ。

苦労知らずの呑気な鍼灸師であり、占い師であるぼくのところには、そんな「世間から隔絶したがっている人」たちが、来られているのかもしれません。

なにしろ、世間話って、ほとんどないからね。ぼくのお仕事場では。


なんだか身の上話になってしまいましたが、ボーっと過ごすのは、ぼくの社会で生きている役割なんじゃないかな、なんて、ちょっと昔を振り返って、思いついてしまったのだとさ。

なんでかな、台風が来ているから、かな。


千里眼@易占 易占家 仙亀
Webで易占、やってます。

eki-senrigan.jimdo.com