気ままに太極拳ブログ

東洋医学視点の太極拳やカラダのことの毎日の思いつきをつぶやきます

『見えることの必要性』

【気ままに太極拳日記14】
2018.2.22
『見えることの必要性』

ぼくは中学生になってから急に片目の視力が落ちてきて、眼鏡をかけるようになりました。
高校生の頃はテニスをしていたので、コンタクトレンズを一時期つかっていました。
おとなになってもしばらくはメガネが当たり前。

 

20代前半に野口整体に出会ってから、当たり前だったメガネに疑問を持ちました。
もともと見えなくなってきていた目は、わざわざ見入ろうとはしていなかった。
弱っている目を酷使するようなメガネの着用は、負担になることも当時は実感。

 

そんなわけで、映画などを観に出かける時だけメガネをするような生活に。

 

娘たちが生まれてから、物が見えないことに不便を感じ、30代は比較的メガネをすることがふえました。
新品のメガネをすぐに娘たちのおもちゃにされてしまったことも、いまだ記憶に新しい。

 

40代になりふたたびメガネなしが楽なことを再認識して、裸眼で過ごしています。

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さて、最近。
やたらと家族の持ち物が家の中で紛失することが増えました。
さてさて、手間のかかることに探し物をお手伝いする人員として、ぼくも期待されます。

春先のボーっとするこのころ。
メガネと「当たり前に見えること」の必要性を、あらためて感じます。

 

そもそも、物を無くさないように、みんなでちゃんとすごそう!とは、ひそかに思っていますが、陽気のせいにして、今のうちはだまって探し物を手伝おう。

 

春先のボーっとする陽気の中、そんなことを、立禅しながらボーっと思いつき。

 

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